"Precious Metal" =貴金属の名を持ち、リノでレースをしたP-51は2機いるのですが、本機は初代(N5483V)の方です。 二重反転プロペラを着けRRグリフォンエンジンを載せた2代目(N6WJ)の方が活躍期間も長く有名だと思われます。
その他に06年に建造されたP-51Aのレプリカ機(N8082U)が当時の2代目を模した塗装で "Precious Metal II" と名付けられて映画 "Thunder Over Reno" の撮影に使われましたが、07年のオシコシのエアショーで他機と衝突事故を起こしてレースには出ていません。
一族で家具販売をしていたアリゾナ州スコッツデールのゲイリー・レヴィッツ(Gary R. Levitz)は70年のカリフォルニア・モハービの耐久レースを皮切りにレースナンバー #38 を付けたP-38L "Double Trouble" で各地のレースへ出場しており、リノへも73、74年と参戦していました。 74年のリノでレヴィッツは友人のケン・バーンスタイン(Ken Burnstine)がレース用に高度に改造された漆黒のP-51、#34 "Miss Foxy Lady"を持ちこんだのに感銘を受け、その年の冬自らのレース用の機体として陸軍のシリアル44-73518、民間登録記号N5483Vを持つP-51Dを手に入れました。
レヴィッツの機体は彼のスコッツデールのハンガーでラルフ・ペイン(Ralph Payne)による改造が施されました。 ペインは70年のリノで決勝3位に着けたリロイ・ペンホール(Leroy B. Penhall)のP-51、#81レーサーを仕上げたエンジニアとして名を知られていました。
ペインの改造は段階的に進められ、まず機体を総て分解しクリンナップをしつつ軽量化穴の追加及び各部のワッシャーを総て薄型に、配管類も軽量なものに置き換えるなど軽量化を施し、翼の組立でシムを挟み取付角をレース用に調整するなど再組立に際し各部のアライメントに細心の注意払われました。 プロペラはペインの人脈より確保されたハミルトン・スタンダードでP-51H用として2セットだけ試作された薄型ブレードのものが着けられました。 これはクリーブランド時代のP-51Cレーサー #7 "Beguine" が着けていたのと同じものでした。
デビューとなる75年6月のモハービで、レヴィッツの機体は "Precious Metal" の名と#81のレースナンバーを与えられて姿を現しました。 この時点ではまだほぼストック状態外見ではありましたが、外板は念入りに美しく磨き上げられ、スピナーと翼端には金箔を施したというその名に違わぬ姿でした。 このレースでレヴィッツは予選を370.01mphで7位通過、決勝を355.97mphで5位入賞で終えました。
改造はその年9月のリノ迄に更に進められ、翼端が詰められて端面を凹面に整形され、低いプロファイルのワンピース風防とそれに合わせたキャノピーが適用されました。 エンジンのRRマーリンはデイブ・ズーシェル(Dave Zeuschel)が組んだレース用にチューンしたものに換装されました。 レヴィッツは#81を予選409.28mphで通過、決勝レースでは3位でフィニッシュラインを通過したもののコースの南側で観客席に近いデッドラインを越えて飛行したとして失格とされてしまいました。 これはレヴィッツはレースの半月前に自宅で犬に脚を噛まれ足首の腱を受傷しており、適切にラダーを踏めなかった為だと言われています。
翌76年のモハービでは#81の改造が更に進められて垂直尾翼がP-51H用の背の高いものに置き換えられ、主翼フィレットも長く延長されたものに置き換えられました。 予選では386.363mphで3位通過、決勝では376.349mphで2位でレースを終えています。
モハービのレースの後、レヴィッツとペインは高度に改造された機体がレヴィッツが快適にレースをするには速過ぎるのではないかと話し合い、#81は売りに出されることになりました。 購入者がペインの参画を受けいれ、彼の計画した改造計画を更に進めるならば値下げをするという条件も付けられました。
リノのレースを間近に控えたその年の夏に#81を購入したのはフロリダ州フォートローダーテールのドン・ウィッティントン(Don Whittington)でした。 ウィッティントンは不動産やレース用を含む自動車関連物流に携っていて、モータースポーツで活躍していた父親の影響で幼少期からレースに親しみ、同事に若い頃から航空にも情熱を傾けていて弟のビル(Bill Whittington)と共にエアレースへの参加を期していました。
しかしドンはペインの持っていた更なる改造計画を受け入れることはなく、引き渡しまでに機体からはペインが彼の独自技術だと見なした幾つかの装備が降ろされました。 ペインの改造計画は主翼前縁に「カフ」と呼ばれる整形部材を追加し翼型をレース向きに変更することと、胴体下のエアスクープを撤去、胴体右側面に設けたNACAダクトによって導入した冷却気を後部胴体内部に移したラジエターへ通し操縦席後方の負圧領域へ排出するという大胆なものでしたが、それが実現することはありませんでした。
76年のリノに現れたウィッティントンのレーサーはレースナンバーを#09と改め、風防を通常の高さでワンピースのものに替え、キャノピーも所謂ダラスタイプと呼ばれる通常の高さのものに替えられました。 レースナンバーの#09はウィッティントン兄弟が前年のリノで同じフロリダのジミー・リーワード(Jimmy Leeward)の P-51 #9 "Miss Florida" のクルーとして参加したことに因んでおり、呼称も当初 "Miss Florida 3" と登録していましたが機首には元の名前のペイントが残されたままで、結局リノ'76の公式記録は機名が "Precious Metal" となっていて以降もその呼称がそのまま使い続けられました。 またリーワードの#9も引き続きリノ'76へ参加しているので、同じレースで#09と#9が飛ぶということになっていました。
そのレースの予選、ドンは周回の終了時エンジンが爆発、緊急着陸を強いられましたがこれまでのリノ及び国内のアンリミテッドクラス予選の速度記録となる431.806mphを叩き出し1位通過を果たしました。 この時の予選は上位3位が従来の記録を上回るという激しい争いでした。 #09は決勝までにズーシェルにより新しいレーシングエンジンへの換装を済ませられましたが、決勝でも3周目で再びエンジンが爆発して離脱後緊急着陸、DNFの結果に終わってしまいました。
リノ'77ではドンは予選398.53mphで2位で通過し、決勝でもダリル・グリーネマイヤー(Darryl Greenamyer)の #5 "Red Baron" に次いで425.70mphで2位入賞を果たしました。 決勝後のタキシングでドンは支援のためエプロンに出ていた大会理事のまだ新しいダットサンをプロペラで切り刻み破壊してしまうアクシデントがありましたが、幸いにも車に人はおらず火災も発生しませんでした。
78年のリノ、#09は前年の事故で使えなくなった薄型プロペラをデ・ハビランド・モスキート用のプロペラに替えての出場となりました。 ドンは予選で400.20mphの2位通過、決勝ではスティーブ・ヒントン(Steve Hinton) の #5 "Red Baron" に0.7秒差まで迫りましたが414.77mphの2位で優勝を逃しています。 ドンは以降のリノに#09で82年の不参加を挟み83年シーズンまで出場し決勝で2位と3位を1度ずつ穫るなど活躍しましたが優勝には届きませんでした。
その後ウィッティントン兄弟はエアレースの活動を一時的に休止ししていましたが、88年のリノに2代目の #09 "Precious Metal" と共に現れました。 この時2代目の機体は初代が付けていたP-51H用の背の高い垂直尾翼が移植されており、名前とレースナンバーだけでなく尾翼セクションに付けられていたデータプレートに記されていた民間登録記号も流用されていたので同じ機体を改造されたものだと誤解が広がったのですが、2代目は胴体がほぼ新造の別の機体です。 当時のウィッティントンのハンガーでは尾翼を失った初代と建造途中の2代目が並んでいる写真が撮られています。
2代目の"Precious Metal" が88年のリノで不時着し、その後のレストア過程で新しい番号を取得したことで、89年には初代の機体は尾翼とN5483Vの登録を取り戻し塗装を剥がされて飛行可能状態に復帰しました。 レストアされた機体は#38のレースナンバーが付けられましたが結局レースに出ることはなく、90年にドンの操縦で長距離飛行後悪天候からの回航中に燃料切れとなりメキシコ湾に墜落しました。 ドンは重傷を負いましたがその後回復、機体は引き揚げられレストアされましたが以降レースには出ることはありませんでした。 初代の#09はそれから所有者が何度か変わり、これを書いている2026年の頭には同じシリアルを着けた機体が綺麗にストック状態へと戻されたTF-51Dとして売りに出されています。
このイラストは初代 "Precious Metal" 最後のレースとなった1983年当時の再現です。 #09は81年シーズンから超低プロファイルの風防と天蓋を着けていて、磨き上げられた機体と高い垂直尾翼がとても精悍で競速機らしい姿となっていました。 この年の決勝でドンは先行するニール・アンダーソン(Neil Anderson)の #8 "Derednought" に肉迫していましたが、最終ラップでエンジンがバックファイアを起こしました。 しかしドンはスロットルを少し緩めただけでレースを続行し2位でホームパイロンを通過した後にメイデイを宣言し無事着陸しています。
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